トルファンから西安へ戻る。帰りは快晴、世界一高い所にある「青海湖」を臨む。
手前の山は「キレン山脈」
サトウキビは収穫も終わり、残りの茎を伐採し、、あちこちで燃やしている所だった。収穫されたキビは、
屋根に干したり、道路際に並べたり、見渡すかぎり同じ風景である。この頃の西安は雨が多く、
盆地に貯まったスモッグが視界を妨げて、ぱっとした青空は望めない。
西安での雨降り
法門寺は、紀元前三世紀、阿育王の頃、仏舎利等が建てられたそうだ。調査の結果、仏舎利の一部は、
釈迦の指と判定されたらしい。それにしても二千円年以上も前の話が、突然、明るみになるなんて、さすが中国である。
思うに、日本にも、阿育王の頃、仏舎利が、二つ伝来したらしく、其のうちの一つが、
滋賀県琵琶湖東岸の「石塔寺」にあり、石塔寺の舎利塔は最古のものと言われている。
その石塔寺もかって訪れたことがあるが、そのあたりは、かって古代の頃、半島からの移民が多かった所である。
お陰で、その頃の「倭国」の描写もそれに影響されている。
ブッダロードは岩と乾燥した大地、暑さ寒さ、強風と、全く我々が見なれた風景にはほど遠い世界だった。
わずかオアシスの緑だけが生命の証である。 途中の荒涼たる世界を生き延び、大陸をさまよい、
海を越えてきた人たちは、そこに東方の楽園を発見したに違いないと思う。
今回、敦煌を訪れるのは二度目で、九十六年五月に始めて訪れた。当時の想い出は、
私のホームページ「敦煌見聞録」に書いてあるので、時間が在る方はアクセスして欲しい。