江・揚州 Zhenjiang---Yangzhou

Last updated 1999 08 21
99/01/13ー16
 


今回は、横浜日中友好協会主催の「鎮江、揚州の旅」の記録です。

中国国際航空公司の飛行機で 一路上海へ。夕方の便なので、上海近くで、地平線近くに大きく輝く「金星」が一瞬見えました。成田-上海は距離約2,000kmです。

上海では華東大酒店に泊まる。上海駅の直ぐそばで、交差点の斜め向かいには「JUSCO」があり、買い物に便利。お店は夜10時まであいており、食料品とかは安くて重宝する。

上海から鎮江へ
朝方は小雨。上海駅へ向かう。我々は軟座席なので、悠々とホームへ向かう。

南京行きの汽車で鎮江へ向かう。約3時間の汽車の旅です。時速は最高130km/hは出ている。途中は殆どが直線に近く、周りは田園風景である。
 

線路の直ぐ脇には防風林か、木立が延々と続く。ガイドさんの説明によると「生きた化石」の「杉」だと云う。ちなみに生きた化石のもう一つは「パンダ」である。行けども同じ景色である。鎮江に近くなって、多少起伏が出てきて、わずかに積雪が見える。
 


鎮江に到着

 

鎮江 zhenjiang
 鎮江は北京と杭州を結ぶ「北杭大運河」が長江と合流するところに有り、人口260万人を抱える、長江沿岸では第三番目の大都会である。

 大運河は、古代、隋の帝が完成させたものだ。「帝」は「ダイ」と習ってきた。呉音では「ダイ」と発音する。

日本の漢語の発音には3種類あるそうな。

   呉音 6--7世紀、中国南朝宋から、朝鮮を経由して日本に伝わった。
         経文 キョウモン  人間 ニンゲン
   漢音 7--9世紀 遣隋使、遣唐使が中国から伝えた漢語
   
   唐宋音---13--14世紀 禅僧、商人が江南から伝えた漢語

今回は、残念ながら、「京杭運河」そのものは見学していない。                 

長江の南岸にあり、 春秋時代には呉の国、三国時代には呉の孫権が都をおいた「江南の古都」である。その中でも長江に面して天然の要害をなしている京口三山、すなわち北から金山、北固山、焦山が有名である。

金山(江天禅寺) jinshan

金山は高44米,周520m、もともと長江に孤立する島であったが、清の時代、陸続きになったと言う。我々には金山寺味噌の方がなじみがある。


金山寺は東普(317--420)時代の創建。後ろに見えるのが「慈寿塔」で鎮江のシンボル。


金山寺に行くと、雪がちらつき、大変寒い。階段を登り、下を見るに、あいにくと揚子江も見えず曇り。


ロウバイの黄色い花に雪がちらつく。

鎮江博物館

金山寺から南へ下ったところに、鎮江博物館がある。鎮江あたりの歴史を、古代からの遺産を陳列して在る。博物館の建物は、往年の英国領事館をそのまま利用しているので、インド風である。
「古西津渡街」
 

博物館の横から、川面に下って行く道が、1000年の歴史を持つ「古西津渡街」の石畳みの細い路地である。


この道を通り、長江の渡しを乗って、対岸の揚州へ云ったと言う。昔は揚子江の水面は高く、今の鎮江の町は水面下であった。この辺りが船着き場である。

北固山 beigushan
  

北固山は、三国時代「呉」国の様子を偲ばせる、高58米,長さ200余米の絶壁、三山の中央に位置し、三国時代、209年、孫権は蘇州からここに移り、「鉄瓮 城」(てつおうじょう)を築いた。

三国志で「鎮江」が登場するのは、3世紀の初めである。呉の都が「南京」に移る間での間だ。

208年、孫権・玄徳連合軍は赤壁の戦いで曹操の大軍を破った。当時、荊州を得た玄徳に対して、呉候孫権は、自分の妹「弓腰姫」を玄徳の嫁に差し出し、孫権と玄徳の同盟が成立した。その舞台の場所となったのが当時、城西の名刹「古甘露寺」である。

呉候孫権と玄徳が、共に曹操を滅ぼさんと「天に念じて石を切った」という故事「十字紋石」、呉夫人が婿玄徳の品定めをした「甘露寺」等、他にも三国志演義を偲ばせるものが多く、桃園の義 

三国志の名場面が人形セットで描かれている。

ただ、孫権-玄徳の同盟は、220年には崩壊し、魏-呉の同盟が、麦州に孤立した「関羽」を討ってしまう。
 

三国時代の回想

建安25年(220年)10月、後漢王朝滅び、北中国の曹操が、「魏」をに、建安26年(221年)、劉備が成都で「蜀漢」を建国、229年、江南の孫権が「呉」を建国、三国時代が始まる。この三国時代は、司馬尉の西晋(265--316)が280年、呉を滅ぼして、中国を統一するまで続く。

歴史的にみれば、私たちになじみのある「魏志倭人伝」の同時期の3世紀である。

西晋の陳寿が表したのが正史「三国志」で、いわゆる「魏志倭人伝」とは、この中国の歴史書「三国志・魏書・東夷伝・倭人条」を言う。誤解せぬように、魏志倭人伝と言う書物が在るわけでない。また我々に馴染みが深い「三国志」とは、14世紀半ば、羅貫中が完成させた「三国志演義」による。

 三国の中では最も優勢だったのは「華北の魏」である。

としても、呉は大変な海洋国家だったらしい。例えば230年 今の台湾、232年 遼東、234年、高句麗、246年 海南島と遠征している。「呉」は、「魏」と対抗する為、遼東にいた「公孫淵」と組んでいた。困難を極めただろうが、この頃には、海上交通は私達が想像する以上に進んでいたようである。

238年、魏の明帝は遼東へ遠征し、「公孫淵」を征伐、帯方郡、楽浪郡を平定、半島へ拠点を確保する。238年から247年にかけては半島は動乱続きで、魏が半島のかなりの部分を 押さえた。

このような政変続きの中で、倭はどんな対応をしたか、魏志倭人伝に詳しい。魏志倭人伝の国内の解釈は「邪馬台国所在論」ばかりだが、ほんとうはその背景に「魏」と「呉」の戦いがある。


天下第一江山
 
 
 

[
「古甘露寺」の近くに、阿倍仲麻呂の「望月望郷」の詩碑がある。かの玄徳も :“此乃天下第一江山也!”と、この地より、長江の眺め絶景を見て、嘆賞した。

仲麻呂は717年、19才で唐へ来た。そして753年、揚州から大和に帰る時、この詩を詠んだ。ところが船は難破し、安南(ベトナム)に漂着。755年、ようやく長安に戻り、一生、唐に貢献した。

 「望月望郷」
         起首望長天神馳奈良邊
         三笠山頂上想又皎月園


この鉄塔は北宋の元豊元年(1078年)のもの。唐代の石塔の形を取って作られたと言う。

 

さらに行くと、唐代に建てられた「多景楼」があり、そこから揚子江の夕暮れを眺める。江上は遠く霞んで定かでないが、雪は止み、雲は和らいできて夕陽が穏やかに見える。天下第一の江山である。
 

焦山 jiaoshan

焦山公園に向かう。焦山は山とあるが、今は島である。ここに見えるのは長江ではあるが、本流は焦山のさらに向こう側を流れている。島に渡るには、ロープウェイもあるが、しばらくは渡し船を待つ。


船着き場にあるお寺は定慧寺


「大雄宝殿」は後漢に創建され、明代に再建された。


境内の樹齢600年のイチョウから、気をもらう仲間
 

長江の渡
 
鎮江の町中は「プラタナス」の街路樹が多い。山門で鎮江名物の「黒酢」を買う。公園の中は、ロウバイが花盛りで、あちこちに見える。日が陰るとさすがに大変寒くなる。
夕方、ラッシュの合間をぬってフェリ-で鎮江から瓜州まで長江を渡る。渡しは15分程度、フェリをおりて瓜州から揚州のホテルまで約45分程度。周りの風景は、田園風景、新市街、旧市街と走る。

長江のフェリ  対岸は鎮江

揚州 Yangzhou
 

揚州は、春秋時代に吾王の夫差がこの地に築城したことから始まる。長江の北岸にあり、現在では人口440万人の大都市である。

隋の煬帝が洛陽と杭州とを結ぶ大運河を完成させた。

煬帝は江南の景色が好きで、よく揚州を訪れて居る。帝は、酒を飲み、女遊び激しく、代表的な悪王に見られているが、真偽のほどは判らない。隋の滅亡寸前まで、揚州で船遊びで放蕩したと言うが、南北を結ぶ大運河を完成させて、中国統一の基礎を築いた事は確かであろう。
 唐代になると、対外的貿易、外交の重要な港となった。以降、南北の交通の要所として栄えている。


 
我々がなじみ深いものは「遣隋使」、「遣唐使」であるが、彼らも、ここで上陸して長安に向かった。小野妹子もこの町を通過して、大運河で洛陽に向かったはず。

痩西湖

痩西湖は杭州の西湖を模して作られた人造湖で、船遊びの風雅を少し味わえる。

「西湖」は春秋時代、越王勾 が呉王夫差に送った絶世の美女「西施」にちなんだ名前である。

私たちも、春浅き、まだ目も出ない柳、桃の並木を通り、船に乗った。しばしの船遊びである。

大明寺

大明寺は「痩西湖公園」の北の一角にあり、南宋大明年間(457--464)の創建、現在の建物は清の時代に再建された。

唐代には鑑真和尚(688--763)が住職を勤めた。鑑真和尚はたびたびの失敗のあと、国禁を侵して、唐の天宝年間に、大和へ向かっている。

マルコポーロ
 

昼間はホテルの近くで、揚州料理。ここから歩いて揚州博物館に向かう。


博物館のある「天寧寺」は1600年の歴史を持つ。さすが、本堂のなかは冷えるが、外は良い天気で、犬と戯れる。


元の時代にはマルコポロもここに滞在したと言う。マルコポーロに関しては、西園賓館すぐそばの「揚州博物館」の一角に展示コーナがある。


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今回、案内していただいた人

鎮江 揚州  中国リンク先

揚州  http://www.yz.js.cn/yzzc163.htm

鎮江  http://www.zj.jsinfo.net