日本書紀の神代上第一段
最初の神々の生成には、本文以外に、ある書の例が出されており、異なる伝承が記録されている。このような異なる伝承は天孫降臨まで続く。 神代記はきわめて作為的であり、神話でもなく、現実そのものから反映している。
本文では、国常立尊、国狭槌尊、豊斟淳尊に順番誕生しているが、「ー書」の例として「第一から第六」まで紹介されている。
一書[第一 ] 国常立尊(または国底立尊)、国狭槌尊(または国狭立尊)、
豊国主尊(または豊組野尊、豊香節野尊、浮経野豊買尊、豊国野尊、豊カブ野尊、葉木国野尊)
[第二] 可美葦牙彦舅尊 国常立尊 国狭槌尊
[第三] 可美葦牙彦舅尊、国底立尊
[第四] 国常立尊、国狭槌尊
(また言う 高天原に、天御中主尊、高皇産霊尊、神皇産霊尊、皇産霊)
[第五] 国常立尊
[第六]天常立尊、可美葦牙彦舅尊、国常立尊
「ある書」は神代記の記述の分析から東アジアの以下の国に該当する。第六までは日本建国時の神々であるが、第七以降、さまざまな神々がおり日本の祖先は各種各様である。
仮説ー1
第一 高麗加耶 -
第ニ 百済(プル百済)-コムナリ加耶---
第三 百済(オンジュ百済
第四、 新羅加耶-----------
第五 新羅 -------
第六 加羅 -------
仮説ー2
国常立尊 (国底立尊) ⇒ 粛慎 北方系
国狭槌尊 ⇒ 呉 南方系
可美葦牙彦舅尊 ⇒ 漢 ---
天常立尊 ⇒ 鮮卑 北方系 ---
豊国主尊 ⇒ 倭 南方系--
等と雑多である。このような雑多な融合があり、
ここで、「鮮卑」系は「天常立尊」、「天子、天帝」は遊牧民族からの発想、天から降りてくる天孫降臨は北方系。 粛慎は「夫余」と置き換えても良い。
仮説ー1と仮説ー2を組み合わせると結果は?
第一 高麗加耶 ------ 粛慎+南方呉+倭
第ニ 百済(コムナリ加耶---北方漢+粛慎+南方呉---
第三 百済 -北方漢+粛慎
第四、 新羅加耶---------粛慎+南方呉、
第五 新羅 -----------粛慎
第六 加羅 -------鮮卑+北方漢+粛慎
粛慎はいずれにも登場、
南方からは 「呉」、「倭」
北方からは「粛慎」、「漢」、「鮮卑」
最初に上がっている名称が主体? 順序で言えば「高麗」が第一、
ルーツで言えば粛慎 (みしはせ)
高麗系にだけ倭が入る。高麗は神の国とか、倭と高麗との関係は深い。倭の時代は古事記、日本の時代は日本書紀。 倭も日本も同じ「ヤマト」と呼ばれるのは何故か? 古事記は推古天皇までで、蘇我全盛期で終わる。任那奪還の為、軍事行動を展開したのは推古ー蘇我の時代である。
倭は「海」を得意として、古代南北融合時の媒介として働く。高天原は朝鮮半島、天孫降臨は朝鮮半島から倭の地への回帰。
すべてに「粛慎」が入っているのはこれが中心の神
だが、第六までは日本建国集団で、それ以前の「倭国」は?
日本書紀でもよく判らないのは?
竹内−蘇我集団のルーツは? 「蝦夷」(えみし)では?
蝦夷のルーツはたどれば大陸の「粛慎」 縄文人?
蝦夷征討は大化改新以降に本格化?
呉と粛慎の融合は「高麗」だが、この組み合わせだけ北周り、南回りの両方が考えられる。
粛慎からの北周り接点は東北宮城以北 ここで「蝦夷」
粛慎からの南周り接点は半島北部 ここでは「高句麗」
呉は粛慎についで登場する。呉は南方からの展開、北上して北方勢力に融合して「加耶」のf原動力となる。神功征討は対新羅との闘争、熊襲は新羅の前進基地。
第一 高麗加耶 ------ 粛慎+南方呉+倭
第ニ 百済(コムナリ加耶-北方漢+粛慎+南方呉---
第三 百済 北方漢+粛慎
第四、 新羅加耶--------粛慎+南方呉、
第五 新羅 -----------粛慎
第六 加羅 ------- 鮮卑+北方漢+粛慎
高麗加耶−仁徳朝
「呉」の入る組み合わせが「加耶」の一つ、また、第二と第三の違いにより百済ニ国論が導かれる。、
南方系呉、倭が北上して朝鮮半島で北方系と南北融合、「加耶」ができる。融合の結果、朝鮮半島の高句麗、百済、新羅や加耶ができる。 加耶は1世紀には半島南部に最初の建国。
加耶の領域は半島南部洛東江流域から半島西部にかけて一番北は錦江流域「プル百済(コムナリ加耶、」まで広範囲にあった。 雄略天皇の時代 最大で、以降 衰退する。
任那はどこか? 日本書紀では任那の盛衰についてははなはだ曖昧である。三国時代と呼ばれる時代、高句麗、百済、新羅意外に「加耶」と呼ばれる国が存在した。日本書紀でいう「任那」である。
加耶の領域は半島南部洛東江流域から半島西部にかけて一番北は、「プル百済(コムナリ加耶、」まで広範囲にあった。 この加耶こそ任那である。
日本書紀の記述では第六を「任那」としているけど、これは捏造。ここは「加羅」 加羅は北方だけの融合
高句麗南進で「加耶」集団は列島に回帰する。この過程で倭の先住である「呉」は「加耶」との混交になる。加耶は新羅ん¥からの攻勢により次第に狭まり6世紀半ばには消滅する。この間高句麗、百済、新羅からも列島に移住あり、帰化する集団も多数。、
?また卑弥呼をはじめとする邪馬台国は「鮮卑+北方漢」である。大陸からの「鮮卑」系の南下、 時は崇神天皇の時代
当初2世紀の頃、朝鮮半島からまず南下してきたのは「鮮卑」系 邪馬台国である。北方にあった「魏」と近い。邪馬台国集団は呉集団の隙間をねらい「大和」へ進出。
ついで4世紀後半、「加羅」に変節して列島に南下、「物部」集団となる。 原始は「垂仁天皇」の時代
第四の新羅加耶
天皇の中では
新羅系は
神武
允恭
天武
ちなみに、高天原の神々は 壬申の乱で勝利した新羅系を中心とした発想であり、このうち活躍するのは「「高皇産霊尊」で日本国統一の司令官として、天孫降臨の時など活躍する。 上述の神々と同時期に高皇産霊尊が出現するが、新羅のみ特別な扱いにしている。
これは新羅系の「天武天皇」が壬申の乱で勝利したから、このような特別の神々を捏造しているのだ。 しかし、記紀が完成する頃は、かえって新羅系凋落して、加耶が復活する。
結果、古事記は、新羅万世一系を作ったが、高麗系主体で、推古天皇で完結、天武天皇は登場しない。日本書紀では、新羅万世一系であるが、百済、加羅系加耶が挽回、彼らの物語に近づけている。