地図 渡海ルート
現在、半島の拠点になっているのは釜山である。釜山へは福岡からジェットホイルで3時間弱。今の釜山市は洛東江東岸にあり、海から見ると、平地は少なく、山裾までまで高層ビルが立ち並び、 海岸部には平野らしきものは見当たらない。
日本書紀によると、「
神功五年 新羅の人質「ミシコチホッカン」が、国の妻子が官奴とされたとかで、国へ帰りたいというので 許したところ、途中で逃げられてしまうという記事がある。葛城襲津彦が新羅まで追いかけて「タタラノツ」にやどりて、早羅城を奪取して、漢人を捕虜しして帰ってきた。
ここでいう「羅」は本来、国を意味する言葉である。
ここで言う「タタラノツ」は、今の「韓国慶尚南道釜山の南」にある「多大津」とされる。多大津は洛東江の東岸、 河口付近にある。この人質事件は新羅の歴史書にも書かれていて、史実である。但し、日本書紀の年代は 作為で、誤りがある。
ただ、日本書紀に記載される半島の地として、洛東江河口の東岸のみで、南加羅があったと思われる金海方面、つまり河口の西岸を書いていないのも不思議。船で到着するのは現在でも釜山で、古代でも釜山である。
釜山タワから南方 眺め
日本書紀の任那、初出
従郡至倭盾海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国七千余里
郡から倭までは七千余里で、海岸にしたがって水行し、南、または東へと韓国を経て
其の北岸狗邪韓国に到着する。
魏志倭人伝の最大の問題は 邪馬台国がどこか? よりは、狗邪韓国は倭の北岸にあるか?という、狗邪韓国の位置である。皆は腫れ物に触るように避けてとおり、邪馬台国ばかり気にしている。そしたら「倭の南岸」はどこか?いわずもなが、伊都である。、「到其北岸狗邪韓国」、「到伊都国」は、倭の範囲をぴったり 当てている。 「到」の字に注意。
狗邪韓国は洛東江の河口にあったとされ、それは、大概の解釈では、 金海市を当てているが、狗邪韓国は釜山である。
釜山から金海へは電車、バスもあるが、タクシーの方が便利で、 ハイヤで観光地を巡るの良い。但し、日本語のわかる運転士でガイドであれば、1万円は 覚悟せねばならない。
洛東江河口あたりを見ると、現在は、その河口の中洲に飛行場が建設され、 金海市のほうに平野が広がっている。しかし、中州はもともと小さい島があったばかりで、飛行場は埋め立てて作ってそうである。洛東江の本流は今の中洲の西側を通っていた。 金海平野の周囲は、北側から、西、南側は標高600mから800m程度の山に囲まれ、東側に洛東江 河口がある。
古代の川の流れから考えると、その北岸とは、そのは「洛東江北岸」を指すことではないか?
金海市の礼安里古墳群前で
首露王陵
金首露王陵は金海平野北部の平地の町中にあるが、王妃陵はそれらを望む北部山すその小高い ところ亀旨峰にある。そこらあたりが「伽耶」の本拠地である。
日本書紀では任那「ミマナ」と読むが、ハングル読みでは「イムナ」
すなわち「伽耶」の話は、やはり伝説になるが「駕洛国」の始祖金首露の話から話を 進めねばなるまい。 金首露の神話は、日本の天孫降臨神話と似ている部分が多い。金首露の場合は卵生神話型の 天孫降臨神話である。卵生神話は南方系、天孫降臨は北方系と言われる。
亀旨峰(クジボン)の遺跡
神話の紹介-----------
ある日、亀旨峰(クジボン)の頂きから村人を呼ぶ声がした。亀旨歌を歌うと、天から金の箱が天降り、その中に6個の金色の卵がはいっていた。村に持って帰り、12日目に卵が孵化して、6人の童子が現れた。 最初に孵った童子が、駕洛国の始祖となり、その名を金首露と言う。他の五人は周辺にそれぞれ 加耶国を起こし王となった。金首露はインドのアユダ国からきた姫を王妃に迎えたと言う。首露王妃陵
現在の 亀旨峰は下を道路トンネルが走る。 亀旨峰とはさんで首露王妃陵がある。周囲は松林が広がる。また、こちらでは「加耶」ではなく、「駕洛国」と表す。
三国遺事では、五加耶とは次のものを言い、上のそれぞれの伽耶国である。
阿羅伽耶、古寧伽耶、大伽耶、星山伽耶、小伽耶
加耶はこのように卵生神話型の天孫降臨神話から生まれ、なおかつ、その子孫はインドからの血も 混ざる訳である。日本書紀が「任那」と呼ぶところには、大陸からの北方系、東南アジアの南方系、 さらにインドまでの血が混ざることになる。
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