済州島(チェジュド)

済州島はオノゴロ嶋?
倭+鮮卑  倭の最終到達点?

南蛮(ありひしのからくに)の「トムタレ」−−日本書紀 
耽羅国と倭国との交流−−天智天皇
魏書の頃「州胡」−−魏書東夷伝

建国神話 耽羅国 「三姓人」 
済州島4・3事件
土葬の島 
耽羅木石庵での古家 −カヤと石作りの家  回りを積み石で囲んでだお墓

トルハルバン 
済州島みかん 
済州島の海女 

ハンラサン 漢拏山−−韓国最高峰
民族セマウル--実際に住んでいる村 
城山日出峰−−

済州島はオノゴロ嶋?


成田からでは2時間20分、直行便では瞬く間についてしまう。 この島は記紀でいう「オノゴロ嶋」ではないかと思っているが、、果たして?

 韓国最高の漢拏山の噴火で流れ出た溶岩が作った島, 韓国のハワイとも形容されるが、かっては「耽羅国」という独立国で、古代、日本書紀でも記載されているほど。 朝鮮戦争前夜では民衆蜂起もあったとか!

古代は 後漢、魏 の頃は「州胡」  3世紀、 州は「海 」に、「胡」は西方遊牧民族か?
日本書紀では神功の頃、4世紀後半「トムタレ」
6世紀以降 「継体」時代は「耽羅」。

倭+鮮卑  倭の最後の到達点


遙か古代、「倭+鮮卑」はここから北九州や半島南部と渡る。
それより以前、
 呉系は江南から黒潮海路で北上、対馬からは 三つに分岐、そのうち、一つは半島西岸、南岸、遼東まで流れる。この呉は北から降りてきた「粛慎」と融合して高句麗の基礎となる。

 倭ははるか南海から大陸沿いに渤海あたりまで漂流、このあたりで両者は出会う。倭は列島の専売特許みたいだが、よく考えれば、倭のルーツは遙か南海。列島は最後の到達点にすぎない。

 
済州島から北九州や半島南部へ。後漢の乱れで、一挙 加速。 倭がやっと朝鮮海峡まで。
北九州では奴国から邪馬台国の誕生。−−−狗邪系 

とすると、このあたりに流れてきて最初に定着したのが済州島!! オノゴロ島の候補として!


南蛮(ありひしからくに)のトムタレ

 済州島は、日本書紀で最初に出て来るのは4世紀後半、太古から登場する。

 日本書紀によれば、済州島は神功時代は「トムタレ(忱弥多礼)」と呼ばれた。 時代は4世紀後半だが、洛東江流域の七国平定後、西に回って古渓津にいたり、南蛮(ありひしのからくに)のトムタレをほうむり、百済に賜うとある。 すなわち倭からコムナリ百済へ、、。

 3世紀頃は州胡、記紀はトムタレと読んでいるが、以降、コムナリ百済の領域となる。このコムナリ百済はオンジョ百済に南方呉を追加したような集団で、「呉系」

記紀では南加羅を「ありひしのから」というが、、。トムタレのタレは山、トムは「頭無」、 ハンラ山のことを示す。


「耽羅国」と倭国との交流

 継体天皇2年(508年) 初めて耽羅は百済と通うとある。 これは、百済が南下して、半島南部まで進展。 トムタレは百済領になり、「耽羅」と呼ばれるようになった。 トムタレという語感からは「トムラ」と読んだほうが良いかも。 ここでの「羅」は、新羅、加羅の羅と同じである。 

斎明 7年5月(661年) 耽羅から始めての入朝。 

遣唐使の船、中国越州からの帰路、西南の風に乗り、漂流 耽羅に到着するとある。 彼らは耽羅国の人と一緒に倭国へ行く。 これが耽羅国の具体的な始まりである。 

「耽羅」が日本書紀に貢献する国の形で登場するのは、もう少し後の、7世紀後半、天智、天武の頃である。天智と関係ありか???
---------------資料--(1)-------
天智 4年8月(665年) 来朝 (この頃、筑紫防衛のため 水城を築く) 
5年春  (666年)王子「姑如」貢献
6年7月 (667年)貢献       
天武 元年6月 (672年)王子 「久麻芸、都羅、宇麻等」朝献 天智の喪は許さず、天武の賀謄極のみ受け入れる。以降、日本の官位をもらう。 
4年9月(675年)  耽羅王 「姑如」 難波へ
5年7月 (676年) 耽羅王 帰る
6年8月 (678年) 王子都羅 朝献 
持統 2年8月 (688年) 方物献上 (天武死んでまもない頃、慟哭のとき

魏書の頃「州胡」

  魏書に馬韓の項に「州胡」として登場する。陳寿(233〜297)の「三国志」魏書東夷伝
この名前から推理すると、海に出てきた遊牧民族か?まさに「倭+鮮卑」にふさわしい。ちょうど倭國では卑弥呼の頃!! 半島乱れで難民が」流れるのは2世紀後半 そのころ、済州島にも流れてきたか? 

「鮮卑」のごとく頭を刈るとある。鮮卑と関係ありか? 3世紀半ばのころの話!!

日本書紀によると、済州島は「トムタレ」と呼ばれて、4世紀後半には「加羅、コムナリ百済、倭連合軍」 襲来、倭の支配下になるように書いてある。

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州胡あり、馬韓の西海中の大島上にあり。その人やや短小、言語韓と同じならず、皆コン頭(頭を剃る)鮮卑の如し、ただし衣は韋(かわ)、牛及び豬を養うを好む。その衣上あり下無く、ほぼ裸勢の如し。船に乗りて往来し、韓中で市買
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ここを拠点として、倭、韓、漢とも交易をしていたことが、「新」時代の貨幣が発見されて判明。 このなかでも「短小」とは「倭」に?   


 建国神話 耽羅国 「三姓人」


古朝鮮建国神話と同時期 4300年前、ここ耽羅にも同じ建国神話がある。 古代の建国を古朝鮮と同時期に設定? 三姓穴に行くと、この耽羅物語が日本語でアニメで上映されている。 三姓穴は済州人の伝説上の発現の地である。
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 ある日、天から三つの光が注ぎ、そこに三姓人の誕生となる。「夫、梁、高」である。 「フー、ヤン、コ」である。彼らは当初、狩猟採集の生活を送る。

 (余談 北朝鮮金正日(キム・ジョンイル総書記)の夫人に「コ・ヨンヒ(高・英姫)」という人がいる。正式な結婚ではないそうだが。彼女は済州島出身、在日朝鮮人で、戦後の里帰りで北朝鮮に渡る。この「コ」は済州島を本願とする三姓人のうちの一つ。 金正日総書記とコ・ヨンヒにできた子供が「金正哲(キム・ジョンチョル)」で、もっか後継者と見なされているとか。)

 以降、東海の「碧浪国」から3人の御姫さんを迎える。 これ以降、農業生活が始り、耽羅国の基礎となる。三人の御姫さんは船でやってくるのだが、、。 そのとき、五穀の種とか、馬とかの家畜も入って来る。この東海の国はどこか?  日本だという説もあるが、、、。
これは記紀の神功のところ、「トムタレを百済に賜う」話と関連はないだろうか??

。三姓人が出てきたとかいう聖地!!
三姓穴の聖地 周りの木々は皆、穴の方へ向いているという。 


済州島4・3事件

 タクシの運転手から50年ほど前の話を聞く。 それこそ男の成年たちは本土から来たものに根こそぎ殺される。残ったのは年寄り、子供ばかり。日本へもだいぶ逃げたという。
これは?なんだろう? 帰ってからインタネットで調べてみると、それは「 済州島4・3事件」と呼ばれる事件。
   外部リンク      済州島4・3事件については「 レッドハント」  
これに拠ると1948年4月3日に始まる住民蜂起と権力側の弾圧の歴史、いまだ真相は明らかでなく。1950年6月25日に朝鮮戦争勃発するが、済州島事件の終末は54年9月まで続く。犠牲者の数は10万人以上とも。 当時の済州島人口は30万人とか。 現在は60万人。

土葬の島 


 土葬の島で、あちこちに土盛りを見る。 さすが町中では火葬かもしれないが、ちょっとはずれるとお墓があちこち。 周囲を石を積んで、ぽっこりと円墳が。 周囲は方形
これだけお墓を強調するのは? 
天帝淵瀑布(チョンジェ・ヨンポクポ
中文の天帝瀑布に降りていく道の横に何気なく、観光地真ん中。 谷を見下ろしているような配置これは滝に向かっての長方形。周りは石を積んで 

中文 天帝淵瀑布

耽羅木石庵での古家


お墓は周囲を石を積み上げて立派である。なんとなく、これが「前方後円墳」の原型かと勝手に連想してみたが、、。 古代、鮮卑とも関係あるとすると、また卑弥呼鮮卑系も半島から流れてきたとすると、どこか繋がるような気もする。 

卑弥呼は狗邪系とすると、、?
加耶のカヤは、この茅葺きの屋根とも関連有るか? 


耽羅木石庵にて 典型的済州島の村




 カヤ葺きの家とすぐそばに土葬のお墓、 家は屋根はカヤ葺きで、周りは石を積み上げたもの。
お墓は、円墳であるが、周囲は石を積みあげて長方形
ここはこれらの伝統を保存しようとして、多少、作為的な部分があるだろうが、済州島の歴史をかいま見る場面であろう。カヤ葺きは棟がなくて、風に飛ばないように軒下にひもで強く結んである。
お墓と一体となっている住居??




済州島では米はできない。だから稲からのワラはできないが、野外にはカヤが至る所にあり、また石も溶岩の島だから至るところにある。

トルハルバン


西帰浦 中文 hyatt のホテル前で
    トルハルバンはモンゴル語か? とういう説も飛び交っているらしい。確かに、この頭にかぶる帽子は蒙古を連想させるか? 

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モンゴル語で'ハラ'(見張る、見守る)という言葉と'バラカン(物体)'が交わり、'ハラバラカン'になり、これが'ハルバン'に変わったという馬鹿げた解釈まで−−とか?


西帰浦 中文 案内所の前

済州市 土産物屋さんの前でも。

三姓穴
ただ、私たちの泊まった「新羅ホテル」の前では狛犬で、やはり、「耽羅」は

新羅と耽羅は違うか??

済州島みかん 

 ホテルで、日本語のできる運転手さんを手配してもらう。
済州島


温州蜜柑
みかん畑

  韓国では蜜柑の産地は済州島だけ。 聞くところでは、戦後、日本からの指導もあって蜜柑産地になったという。でも、この地勢学的な位置から考えて蜜柑が自然の流れでやってきたのかもしれない。
日本では九州から伊予、紀伊、駿河にかけて海岸部に蜜柑産地が続く。 
本来、蜜柑は中国南部からであろうから、いわゆる「南方呉」から流れてきたとしたら、済州島にあっても不思議ではない。


済州島の海女 


日本の海女は済州島かららしい。これもらしい。 済州島の女の人はよく働くので、済州島には乞食もおらず、盗人もいないと言う。海女にかけては世界一なのか、日本にも進出していったという。 済州島での海草採取は食用というよりは、陸上農耕用の肥料にするという。

山房山の海岸では海女さんが「サザエ、ホヤ、ナマコ」などを並べて売っている。店屋は「蜜柑とか、デコポン(ハンラボン)」とか!!
蜜柑は豊作すぎて大変らしい。


山房山 の海辺  済州島南端 
山房山


ハンラサン 漢拏山

    耽羅の話は日本書紀」にも登場する。
      古代は「トムタレ」といった。「ト」は「頭」「ム」は「無」、タレは「山」の意味、すなわち、ハンラ山のことだ。ハンラ山は火山、火口はお釜のごとく。 
中文の旅行案内所に飾ってあった写真から拝借  標高は1950m 韓国では最高峰。  
ミヤマキリシマみたいのが咲き誇るという。
今日は遠目にみただけ。 


標高は750m位、横断道路からハンラ山の頂上をかいま見る。 横断道路の両側は落葉樹、シャクナゲのようなんも


 横断道路から見たハンラ山

遠方に見えるのが頂上 漢拏山 「ハンラサン」と呼ぶ。 ハンナとも読む。馬の放牧がちらほら
帰りに「漢拏山」という銘柄の焼酎を買った。 この漢は??
この山は?日本書紀では4世紀後半、トムタレで出てくるが、以降は「ハンラ」
耽羅国で登場するのは「継体」時代から、、。

民族セマウル



ここは今も昔と変わらぬスタイルで 
黒豚のそばで用を足して、人糞処理。 さらに豚の糞は乾かして燃料に。 


トラハルバン 
民族セマウル 中庭で  島の守り神であるが、、。

左方は文人、右は軍人
文人は右手に筆を、軍人は左手に剣を持つ。 でも、この頭にかぶっている帽子は?これは蒙古から? 耽羅神話の出てくる馬は蒙古系とか?  この帽子は蒙古系の臭いがするな。州胡の名残か!!!


民族セマウルの食堂そばでみたかなり年期の入ったトラハルバン    

民族セマウルで食べた焼き肉(豚) 

雨水を溜める ワラが濾過の役目をして 
現地の娘さんは、1週間に一度、ボランティアで説明をかって出ている。
ここの おみやげは 
馬の骨、五香子、
冬虫夏草
昆虫から出てくるキノコ 

城山日出峰


 済州島東端  城山日出峰 
今日は絶好の日和。あの城山に登る  

 
観光写真から拝借 日の出は美しい。
 

参考リンク

耽羅の歴史 
http://japanese.jejusi.go.kr/jap01/j1010.html