新羅研究 その2 

、新羅の王の系統は3種類ある。それから考察して、新羅のルーツは3段階あり、 各々、倭と関係ありそうな。 後代, 天武天皇新羅人が登場するのは?

---------------- 日本書紀
        第一   高麗 ------ 夫餘、 南方呉、倭
       第ニ  百済(プル百済)---北方漢、 夫餘、 南方呉---
       第三   百済(オンジュ百済)-北方漢夫餘
       第四、  新羅------------夫餘南方呉
       第五   新羅 -----------夫餘
       第六   加羅   -------鮮卑北方漢 夫餘 


新羅(1)

秦の役から逃れる 

   韓在帶方之南。東西以海爲限、南與倭接、方可四千里。有三種。一曰馬韓、二曰辰韓、三曰    弁韓。辰韓者、古之辰國也。馬韓在西。
   ここの古之辰國は??  

   辰韓耆老自言、秦之亡人。避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國爲邦、弓爲弧、賊爲    寇、行酒爲行觴、相呼爲徒。有似秦語。故或名之爲秦韓。
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漢が朝鮮支配の時期 
   BC57 朴氏 系統 
  →高句麗'BC37、百済BC18と同時期であり、遼東あたりに新羅が誕生

三国史記 新羅本紀 参照
始祖 姓朴氏 諱赫居世 前漢孝宣帝五鳳元年甲子 四月丙辰(一曰正月十五曰) ?位
國號徐那伐 
望楊山麓 蘿井傍林間 有馬 而嘶 則往觀之 忽?見馬 只有大卵 剖之 有 兒出焉
 国号は「ソラボル」徐那伐 

 が出てきて、それと入れ替わりで大きなが登場、これを割ると子供誕生。卵生神話だから南方
                    (夫餘+南方呉)

。また、「楽浪人」が攻撃とは、これは東海岸ではあり得ないし、遼東付近と推定される。
十年 夏四月己亥晦 日有食之 楽浪人將兵來侵
  南解次次雄立 (元年 秋七月 楽浪兵至 園?城數重
十四年 高句麗王無恤 襲楽浪滅之 其國人五千來投 分居?部

 瓢(ひょうたん)を腰につけ海を渡ってやってきた本倭人「瓢公」を重臣として使ったとか。 この段階で倭人が出てくるのは? 何故だ? ここからも倭が遼東方面にあったことがわかる。

新羅(2


脱解尼師今立
    昔氏   脱解 (AD57--80年) →狗邪系(鮮卑北方漢)

 脱解のところで、建国神話ー2が登場する。 脱解は、本、多婆那國で産まれた。その国は、倭国の東北1千余里にある。 国王の女王を娶るが、妊娠7年、女王は大きなを産む。 人みな怪しんで海に棄てる。大きな卵がどんぶらんこ、金官国は怪しんでこれを獲らず、阿珍浦口へ流れ着く。老婆が拾ってあけると、子供が誕生、脱解!!誕生したのはAD36当時

 神話的にも卵生神話なので、南方系と推察。
ただ、この文の「倭国」の位置は渤海あたりか?  卵の流れ具合からみて、西から東へ流れているので、ここの倭国は、金官国 西方にならないとおかしい。
 またこの新羅の国の場所は金官国の東、洛東江東岸では??

、神話1との関連すると、遼東あたりから海路、「馬+卵」が流れてきた??

AD59年、倭国と友好関係を結ぶ。
  阿達羅尼師今立の二十年 夏五月 倭女王卑彌乎が遣使 178年にあたる。 倭国大乱後、共立された卑弥呼が新羅へ  
   「恒・霊の間、倭国大乱」
 後漢代11代恒帝(147-67)、第12代霊帝(167--88)

この時代は倭と新羅は、彼らの出自も共通で友好関係を保つ。


新羅(3)


鶏林 金の箱 天孫  新羅=夫餘+南方呉

 この神話は同じく脱解のところ、AD65年登場する。
  「金の櫃がぶら下がり、傍らでは雄鶏が高い声で鳴いている姿があった。その金の櫃を開けたところ中から男の赤ちゃんが出てきた。王はその子を金閼智と名づけ、ここから金氏の系統」 以降、国号は「ケリム(鶏林)」とする。 日本書紀崇神の最後に「鶏林」として、紹介記事がある。

 天孫降臨であるので、「夫余系」。 賀洛国を建国した集団と関係ありか? 

 実際に新羅王の系統で登場してくるのは、金氏 奈勿王 AD356 以降である。
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      外部リンク  三国史記   


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