邪馬台国 起源−(南方呉+北方鮮卑)


邪馬台国集団
狗邪系( 北方鮮卑+漢) の大陸からの侵攻 
 
だから「邪馬台」の発音はこの組み合わせから!! 元来、卑弥呼の「卑」とか、邪馬台国の「邪」は漢字らしくなく、「北方鮮卑」の発音からでは? 「卑字」とかいうらしい。漢字だけは呉字からとったか? 「邪馬台」をヤマタイと読むのも不思議? 「邪」はジャ? 「ヤ」とは読めないのだ。 

邪馬台国にかかる国名を見ても漢字圏ではなさそうである。
奴、不彌、投馬、邪馬台  
對馬國。方可四百餘里。有千餘戸、
一大國。方可三百里、有三千許家。
末盧國。。有四千餘戸、
伊都國。。有千餘戸。郡使往來常所駐。
かたや伊都国はまさに漢字圏の象徴みたいな国名 
東南至奴國百里。有二萬餘戸。
東行至不彌國百里。有千餘家。
南至投馬國水行二十日。可五萬餘戸。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。可七萬餘戸。

 北方からの(鮮卑+漢)の流入で「邪馬台」、すなわちヤマトができる。


内陸へ展開へのきっかけ−狗邪系

 狗邪系、つまり(鮮卑)系(騎馬民族)が進出してから内陸への展開を図る。それまでの「倭+呉」は海岸沿いが多い。 海岸沿いの河口、沖積平野。

 魏書でも「投馬」は「水行20日」で海岸沿いに?  「投馬」は「ツマ」 −吉野ヶ里か!!
「ヤマト」とは始めて内陸に入って見つけた定住地

邪馬台国となって初めて「水行10日陸行1月」と内陸へ展開される。 この行程記事? 「水行もしくは陸行」とか読む説もあるが、それは明らかに間違う。
 内陸への展開が山戸、すなわち扇状地への展開を意味する。 今の大和が盆地であるように「邪馬台国も盆地の扇状地か??

騎馬民族であるゆえ、内陸への展開も容易なのだ。九州ではどこか? この扇状地説では
やはり筑後川の扇状地
  
北九州

倭をヤマトと発音するのは?−


  ヤマトの発音は確かに「邪馬台国」から来るかも。 
ヤマトとは「山戸」すなわち、扇状地をいうか?

 狗邪系が東遷をして呉系と融合、 同じ地形の所を「ヤマト」と読んだ。 記紀では「倭」をヤマトとフリガナを付けている。
 
倭や呉は1語であり、異民族のような「鮮卑」とかの2字ではない。 だから、「倭」とか「呉」は漢と同様の重みを持つ。 今の日本語では呉を「ゴ」と発音するが、福建あたりでも「ゴ」と発音。 中国普通語では「ウ」であるが、、。

 倭が基本であるから、国名には倭という呉字をを使っているが、発音は「ヤマト」の発音を使う。いわば「倭」とか「呉」は中国大陸南方からの漢字であるが、この「ヤマト」は漢字ではなく、表音文字である。、倭は「ヤマト」と読まれるようになったのは邪馬台国時代だろう。その主人公は大陸北方(鮮卑+漢)系の狗邪系である。



 
 

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