名取川がすぐそば 仙台から名取、岩沼への街道要所
名取川 遠望
神社は名取川河畔のすぐそば。熊野本宮社の南側
拝殿
もともとは熊野新宮社といわれ、熊野本宮社、熊野那智神社
とともに名取熊野三社と。奥の院は江戸初期の熊野作りを伝えて。
熊野神社は熊野本宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し、
熊野神社と称する。
「速玉男大神」−−−「少名毘古那神」? −−
古事記では
出雲で大穴ムジと国造り、あと常世国に渡るとある。
−−加耶古代史観では、これは加耶人(新羅系)
「伊邪那伎大神」−−イザナキ
−−−−スサノオ系の源流
「事解男大神」−−スサノオ系−−大国主神の末裔− 大穴ムジ?
−−加耶古代史観では、倭の先住民 海洋民
の三柱
名取老女が紀伊熊野まで参詣するのは遠すぎると、今から880年
ほど前、鳥羽天皇の時、分霊したとか。紀伊熊野に通じる集団が、ここ
陸奥にもいたことになる。
向こうは本殿、奥の院だが、残念ながら
よく見えない。
五七桐!!
熊野神社でよく見る「巴」ではない。また「十六菊」も見あたらない。
この五七桐は「多賀神社」でも見たやつだ?
「菊」や「巴」とは違った勢力なのか?
拝殿に繋がる渡り廊下、
太鼓橋は住吉、伊勢に通じるか?
。