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大和の箸墓古墳に相似する古墳、「かめ塚古墳」!!!! google map
「封内風土記巻之五 郡邑」 によると 「亀塚」 と、どこにあるか不詳とある。

2006/4/30 かめ塚古墳の後円部頂上に立つ。
今では切り株だけで松の雄姿はない。
(岩沼市史より かっての、古松がそびえるかめ塚古墳)
岩沼駅を仙台方向に電車で行くと、ちょうど町並みがとぎれて田んぼが見え出す。
進行方向左、山の方、その田んぼの中をよく見ると、小さな前方後円墳が見えるはずだ。
2006/4/30 1405
岩沼 かめ古墳という。田んぼの真ん中にきれいに保存されている。白い標識が一つ、
赤い布が風になびく。発掘はされていないのだけど、墳丘の形態から古墳時代中期(5世紀代)と言われる。
かってはさいはて、蝦夷との境と言われた陸奥の田舎に「箸墓古墳」のミニチュワ番があるのはどうしたことか?
2006/4/30 かめづか古墳で見つけた
白い花のタンポポ

もちろん黄色のタンポポも
5世紀代といわれるかめ塚古墳が何故、こんなところにあるのだろうか?
箸墓古墳は箸墓古墳は3世紀中〜後期の築造であると考えられているが、このかめ塚古墳はいるごろできたのか? 発掘調査もされてないけれど、5世紀代とされている。
2006/4/30
ただ、向こうに見える雷神山古墳は前方後円墳「雷神山古墳」 4世紀末〜5世紀初頭と言われる。この年代は大阪堺の大仙古墳群あたりとそう遅れを獲らない。だから、このかめ塚古墳も近畿と比較してそう遅いとは思わないのだ。同時期的に古墳はできているのだ。
加耶古代史観から
柄鏡型といわれる箸墓と相似形?
全長 後円部径 後円部高 前方部幅 前方部高 箸墓 280 155 22 125 13 かめ塚 39.5 16.3 2.45 10.3 2.05 0.14 0.11 0.11 0.08 0.16
大体はかめ塚は箸墓と比べて、多少細長いが、箸墓の大きさの約1/10の設計
とみてよい。後円部の径や高さはぴったり11%だ。これだけきっちり施工できるのは
共通した設計図がないとできないことですね。