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熊野本宮大社(和歌山県東牟婁郡本宮町)
熊野川を遡る 本宮にある。
最古の温泉 湯の峰温泉
古代の本宮は中州にあったが、洪水で流されて、今は高台に仮すまい。
今、大きな鳥居, 中州にいって過去のあとを考えるに無念無想 。
崇神の頃
、社殿が造られたとか、、。
「加耶」の頃 、、。加耶が大和に進出したころ
明治22年以前 洪水に流される前の絵
菜の花、鳥居の向こう、右手が旧社地 大斉原
菜の花畑の右側の堰堤を行き、熊野川 昔は「音無川」
桜の舞うごとく、静寂そのものである。
元来は「巴」か? ここには十六菊もない。

大鳥居には「ヤタガラス」の神紋

ここは熊野三山の首位
熊野大権現
家都美御子大神


第一殿 伊邪那美大神(夫須美大神)−−−ここは古事記風の読み方
事解之男神
第二殿 伊邪那岐大神
速玉大神菊は「十六八重菊」
第三殿 本社 家津御子大神 (熊野加武呂乃命) −(スサノオ)
第四殿 天照大神
順番はこうだが、第三殿の「家津御子大神」が本社なのだ。また、イザナキ、イザナミの漢字は? 古事記風であり、第三殿なのに、「本社」とは? イザナキ、イザナミにもいろんな種類があるのか?ここは熊野系!!
ちなみに、
日本書紀では「伊弉諾尊」「伊弉再尊」
古事記では「伊邪那岐命」「伊邪那美命」−−「天照大御神」「月讀命」「建速須佐之男命
家津御子大神 (熊野加武呂乃命)
すなわち、「スサノオ」であるが、植林、造船にたけて、崇神の時代に鎮祭
日本書紀のなかでは「新羅」系スサノオに繋がるところである。
第四、 新羅------------粛慎、南方呉、
在地スサノオが、韓半島新羅へ渡り、樹種の種をもって紀伊へく話と連なる。
本宮へは? 田辺から東進

八重十六菊が上に見えるが、巴も金色に輝く。


菊の紋(八重十六菊?)の片隅に「巴」紋
列島の先住−−南方呉系
彼らが半島へ北上 南方呉が「倭」と共存、半島へ上がり、領域的には西は錦江、東は洛東江あたりまで確保、いわゆる「任那」ができる。もっとも有名な任那は洛東江西岸にできた「賀洛国」
洛東江西岸−−ミマナ加耶−−仁徳
錦江流域 −コムナリ加耶−−−雄略
半島西南部−−トムタレ加耶−−継体
日神から天照大神への変身 −列島へ天下り
応神コムナリ −神功−応神−八幡宮
これに対して 半島北部からの南下集団−−(倭+鮮卑)が登場する。
邪馬台国−騎馬民族
1.新羅系
洛東江東岸
新羅にも三種類あって、この新羅は二番目、、。
この加耶は後代、、新羅系天武が壬申の乱で勝利するので、「菊」を使う。 ただ、第三番目の新羅は「十六菊」.記紀でいえば、「神武、允恭」の時代に繋がる
記紀のスサノオ新羅系の話?
出雲スサノオ系が洛東江東岸流域と交流、この集団は倭国へリターン、、最初は「曾」 、つまり、のちの日向、ついで、紀伊熊野へ。熊野からはさらに東海へ進出。 −−熊野神社のルーツ
ここの「出雲スサノオ」系 −−当時の新羅象徴 タカミムスビ神 高皇産霊
大伴連
2.加羅系
巨済加耶、倭国では邪馬台国へと、、 出雲スサノオ+。−−記紀の「崇神、垂仁」
熊野神社成立とは関係なしか?−−前方後円墳系
半島では 後代、安羅、加羅(高霊)等に発展、−−
倭国へリターンしてくるのが「履中 、反正」
物部連