武隈の里
歴史
風土陸奥国府 「武隈」 芭蕉一宿の地 エコロジー計画 里山の生活 竹駒神社
(1)
武隈松
陸奥守と武隈松のかかわりをつ古歌で見ると
大体、貞観大津波以降、「9世紀末か10世紀はじめ」から「11世紀前半あたり」までの前九年、
後三年合戦が発生するまでの間になるのだが、、。なぜ、この期間なのか??
(2)
鼻輪松
鼻輪松と武隈松は往古から同じ?もしくは別なもんだと議論されたきたが、、、。
実は、平安の頃、「武隈松」といわれたのは、「武隈の鼻輪崎」にあったこの松であり、
初代から4代目まではここ「鼻輪崎」にあった。 鼻輪松の時代はちょうど武隈館の時代にあたる。
能因や西行が2回目に訪れたとき、4代目の松は名取川の橋げたにされてなく
武隈松は見れなかった。約500年後、武隈松は二木に再建されるまでは空白の期間である。
(3)
雙根古松あるいは武隈松
五代目以降、竹駒神社のすぐ北、「二木」に再建された。
このころはもはた「武隈」と呼ばずに「岩沼」と呼ばれている。だれが再建したのか不明であるが、
芭蕉が見たのはこの松。現在、私たちが見ているのは七代目の武隈松になる。
この七代目の武隈松もだいぶ枯れかかり、瀕死の重症のようだ。
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