十一面観音はインドで誕生したと言われる。玄奘はインドへ赴き、十一面観音に関する経のひとつを漢訳している。
十一面神呪心経 ---唐 656年
(1)人間的な躍動感
(2)大きな頭上面の積み重ね--脇面形式
(3)耳飾り等 装飾
結論を先に言うと、高月渡岸寺十一面観音には、大きな頭上面にインド源流の雰囲気が、しなやかな官能美、脇面形式等に敦煌芸術の流れが、また 装飾的にも「仏像は人間的に、写実彫刻に爛熟」した天平前期-盛唐時代の面影が、受け継がれている。としても、インドのような肉感的淫靡さはなく、日本の風土に溶け込んだ清浄さが感じられる至上の彫刻である。
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1-1お臍
密教の教義と関係があるかもしれないが、もしくは全体のバランスを取る為か、右足は右の方へやや開き気味で、右手も常より長くしている。
体の姿勢は、奈良薬師寺金堂の月光菩薩像と似て、天平前期の写実的彫刻の流れを連想させる。
また唐時代の宝慶寺石仏の如来三尊像なども両脇侍は三曲型である。これは写真では紹介できないが、上野国立博物館東洋館で鑑賞できるので、興味ある方は博物館を訪れて欲しい。
なお、東京国立博物館ではデータベース構築中で、インターネットで検索できる仕組みを試験中である。
1-3 裳の美しさ
大腿部にまつわりつく裳は、まさにインド的だ。作者は作者は薄衣が肌に密着している様を木目を小波のように彫り、薄い裳から透き通ってみえる肉体の膨らみをはつきり表現している。それに引き換え、上半身の裸体は、女体風に滑らかに仕上げてある。としても、決して淫靡な肉感的なものでなく、清浄に仕上げてある。
なお、この写真では確認できないが、裳の左足大腿部側面辺りには、赤色の着色がわずかに観察される。
参考資料として、「仏像 -種類とかたち- 観音さまとは」 高月町立観音の里歴史民族資料館 編に高月十一面観音の特徴が書かれてあるので参照したい。
十一面観音頭上面配置 の基本
本面 ---------菩薩本来の慈悲の相
頂上仏面---------究極の理想としての悟りの相
化仏(阿弥陀)------十一面観音が阿弥陀仏の慈悲の心を実践する菩薩であることを示す
菩薩面-----------善い衆生を見て、慈悲の心をもって楽を施す
瞋怒面-----------悪い衆生を見て、怒りをもって仏道に入らせる
牙上出面---------清らかな行いの者を見て、讃嘆して仏道を勧める
大笑面-----------善悪雑穢の者を見て、悪を改め、仏道に導く
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渡岸寺十一面観音菩薩左耳脇には憤怒面、右耳脇には牙上出面
敦煌莫高窟の第321窟
壁画--デジカメの能力不足で判りにくいが、脇面が書かれている。また頭上面も大きい。
敦煌莫高窟 第334窟東壁
中国では、変化面は装身具の一種としてモテ゜ィファイされ、やや小ぶりになっている。日本の十一面観音も殆ど「小ぶりの頭上面」スタイルである。
3.耳飾り等の装飾
この写真は図書館で見つけたものだが、どこかに模写が有るかもしれない。カラーの写真も別の本にあるが、鮮明さはこちらの方が勝る。
法隆寺金堂壁画の十一面観音像は両耳のところに小さく脇面がある。脇面と言っても装身具のこ゜とく小ぶりになっている。あとの頭上面(菩薩面)は横一列の配置で、各々化仏が描かれている。
良く見ると、両耳に丸い耳飾りをつけているのが判る。奈良法隆寺 木造九面観音立像(
ビャクダン製--十一面観音として作られたもの)にも耳飾りは簡単であるが、つけられている。
法隆寺九面観音は「中国唐時代の彫刻を代表する名品の一つである」とあるから、中国からの将来品なのだろう。この像のゼザインは先ほどの金堂壁画十一面観音像と良く似ている。
奈良法隆寺木造九面観音立像(7世紀後半)
(cf.日本の美術4 No.311)
また、敦煌莫高窟57窟の菩薩の絵画を見るに、十一面観音ではないものの、耳飾りが観察される。この絵は敦煌原作を忠実に守るという前提のもとに、出来る限り本来の状態を推量して原状の復元に努めている「王峰」の模写である。
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