天皇陵探検 

古代天皇陵については、天皇の名と被葬者とが一致するのは、天智、天武、持統天皇と応神天皇くらいと言われる。 実際は、古代天皇陵は曖昧なものか、ロマンにあふれるというか。 宮内庁は役所がら、記紀のストーリからずれることは出来ないが、我らにとって祖先を正しく知ることは、祖先に対しての礼儀であろう。  加耶古代史観 から古代天皇陵の謎に迫る。 
updated 2002年1月6日 14:07:47

(1)真の被葬者は誰か? 加耶古代史観から探る。

前方後円墳の歴史

前方後円墳 地域別分布 墳丘の長さ200m以上

天皇陵の問題点
 築造年代の違い 、和泉、河内、大和  

5世紀の政治状況
 倭先住加耶、 
             新羅、加羅加耶、
             任那コムナリ加耶等 勢力分布を探る。

加耶古代史観からの結論
  各勢力の棲み分け 


和泉       倭先住加耶仁徳    百舌鳥野
河内       加羅加耶--物部       藤井寺
河内       任那コムナリ加耶--応神、雄略  古市、羽曳野

大和北西部  倭先住加耶「トミ」 、そしてそれを殲滅した新羅勢力
大和東南部  倭先住加耶「ワニ」 任那加耶  「ミワ」


   


   
  
  




(2)古墳散策
和泉

故郷の堺を起点として、古墳散策
大山古墳(仁徳天皇陵) ミサンザイ、田出井山古墳   倭先住加耶系  上町台地から南下 百舌鳥野 仁徳天皇陵

ニサンザイ、御廟山、イタスケ古墳  石津川系 百舌鳥野   

河内

市野山古墳、仲ツ山古墳       生駒山山麓を南下、石川へ  加羅加耶
                              
誉田御廟山古墳 (雄略天皇陵)  河内潟 羽曳野 コムナリ加耶
仲哀天皇陵 
応神天皇陵 

大和

垂仁天皇陵
崇神天皇陵
神功天皇陵